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++2005/04/30(土)
⇒5月につづく
※日記の最初のページから5月の日記にジャンプできない方……キャッシュを読み込んでいるみたいなので、日記の最初のページを再読み込みしてみてください。
++2005/04/29(金) そんな黄金週間
あ、あ、あ、あ、あ……おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。自分がおかしい。自分がおかしい。
くうううう、また焼け野原になっちまうのか。名前じゃなくて、自分の内面ね。
ここしばらく、おめでたいこともその真逆のことも含め、大小さまざまことが一度に起こりすぎて、自分がこわれそうになっている。原因は、そういった事象そのものではなく、なによりも「自分のキャパの小ささ」だ。
目のまえにある事象を処理するなり流すなり、うまく選択することができなくて、全部几帳面に受け止めようとして、できなくて、カチッとはまってたはずの自分が、よろろおん、よろろおん、あああ、どこ行っちゃうのおおおお……!!
有頂天になってみたり、悩んでみたり、冷静をよそおってみたり、やっぱりへこんだり、いろいろしているうちに、結局自分の弱点ばかりが泥のようにふきだしてきて、そらもう地盤沈下の液状化現象、姉さんここには家建てられませんって! てな状態だ。
はーーーっ。
でもこんなときは、むりに献立考えたりしないで、目のまえの事をとにかくやるしかないね。がむしゃらに。そしたらそのうち、またシレッと自画自賛しはじめて、偉そうなことのたまう私にもどるだろう、そのくりかえしだもの、結局ね。
はーーーっ。
どこかに、キャパ、売ってませんかああああっ? ちなみに私が免許をとってはじめて乗った車は、ホンダのキャパだ。しかも試乗、しかも持参の青葉マーク、助手席のディーラーさんが足をつっぱり硬直していたのをいまでもよく覚えている。そんな私も来月からゴールド免許さ。あたりまえだ、それ以来、乗ってねえんだから。
++2005/04/28(木) 膀胱炎
ぼうこう炎になったので近所の病院へ駆け込んだ。
看板には内科・肛門科とあるが、まあ膀胱なんか肛門みたいなもんだし、抗生物質ぐらいはどこでも出してもらえるだろうとオシッコを我慢して初診突撃。保険証を差し出しながら「膀胱炎なんですけど」。すると、無愛想な受付の女性から「トイレは待合室の奥ですから」とオートマチカルに紙コップが差し出される。
ふりかえると、誰もいない6畳ほどの待合スペースに、はしばしから豪快にウレタンの飛び出たほぼ粗大ゴミに近い黄ばんだ白いソファー、中央には小さくてぼっこいテレビデオが独りさみしくNHK・納豆のすばらしさ特集をオンエアしている。片隅に目をやると、日曜大工ばりばり、さわるとあんたトゲが刺さるって! なよろよろの老婆のような本棚が、2年分ぐらいの手あかつき「文芸春秋」と「旅の手帖」をかかえてふんばっていた。絶妙のバランス、一冊でも抜き取ろうもんなら棚ごと崩壊して大変な目にあうだろう。
う、うわあ、ある意味アヴァンギャルド……。
しかも、なんかこの病院、そこはかとなく、すっぱいのである。さびれたラーメン屋においてある、紅しょうが入りのタッパーみたいな水垢臭いアレなにおいがプンプン漂っているのだ。
まあいいや、すっぱくたって病院は病院、薬さえ出してもらえればすむ話である。トイレで尿を採取してうろうろしていると、すぐに診察室から声がかかる。紙コップを持ったまま中をのぞくと、そこには歌丸師匠をひと回り小さくして精気を抜いたような老人が、白衣に着られて椅子にちょこんと座っていた。
「あ、あの、これ、検尿お願いします」
「ああ……検尿?」
私が紙コップを差し出すと同時に、脇から女性看護師が検尿試験紙を差込み、老人はそれを受け取って、私の目のまえで私の尿をグジュグジュと検査しはじめた。で、できれば私の見てないところでやってほしいんですけど。しかも老人、手がふるえているので尿がこまかく波立っている。
「あの、先生、たぶん膀胱炎だと思うんですよ。私、膀胱炎になりやすいので」
「膀胱炎? ああ、これ、ちょっとちょっと、これ、血だよねえ。血が出てるよねえ」
よくわからないが、まあいつもより尿の色が濃い気はする。
「ああ、やっぱりこれ、血だねえ」
「はあ……血なんですか」
「うん、血が混じってると、これ、色変わるんだよ」
老人はしばらく血だ、血だ、と試験紙をぴらぴらとふりまわしたあと、こちらを見ていった。
「生理は」
「一週間ほどまえに終わりました」
「あそう。じゃあ、血が出てるんだねえ」
はい。だから、膀胱炎だと思うんですけどお。
「あの先生、残尿感っていうか、キーンと痛むんですよ。もともと膀胱炎になりやすいので、おそらく膀胱炎だと思うんですよ」
しばし無言の時間があり、ようやっと膀胱炎という診断が下されるのかと期待のまなざしで老人を見ていると、おおい、と診察室に先ほどの女性看護師が呼びもどされる。
「ねえねえ、これ、血だよねえ」
どてっ。この、もうろくジジイ、あんた、医者とちがうんかい! 老人、看護師に検尿の確認である。しかし、看護師は慣れた様子でテキパキといった。
「ええ。生理はもう終わってるんですね。じゃあすこし血尿がありますから、膀胱が荒れてるんですね。ああ、あと……タンパクもすこし出てますよ。膀胱炎ですよ、先生」
「だね、膀胱炎だねえ」
「ええ、膀胱炎ですよ、先生」
「膀胱炎だよね。ありがとう。じゃ、膀胱炎だね」
え、え、え、え、え……。
医師と看護師との共同作業とはいえ、しかしとりまんず私には予定どおり『膀胱炎』との診断が下った。その後、待合スペースですっぱいのを我慢しながらウレタンの飛び出ていない部分に座り、『納豆は、右に15回、左に15回、薬味を入れてから3回かきまわせ!』なる教訓をNHKで学習。学習したところで自分は納豆大ッ嫌いなので意味がないことに気づいてすこし落胆し、ああ今夜は冷凍庫の干物を焼いて食べよう……としみったれた食卓を想像してうなだれていると、ようやく一週間分の膀胱関係その他もろもろの薬が処方され、1700円を支払い無事この病院を脱出することができたのであった。
うーん。ていうか、検尿程度の診察ですんだから本日はよかったものの、これがもし、はずかしながらの痔の診察だったりしたらと思うと、、、、、、やはりシモは大切にせにゃならんと心新たにした次第。である。
++2005/04/24(日) 最近はポカリもガードが固いのね
寝て、起きたら、日曜日が終わって月曜日になっていた!!!
思わずひたいに手をあて、首をかしげ、とても正しい『アチャー……』の姿勢をとってしまう。いやー、しかし昨日はびびったびびった。あーあ、でも、思いっきり面と向かって侮辱されても、あはは、って笑って攻撃的になれない自分。そーいうくだらないこと言うヤツとつきあいのあった自分。それが一番情けないやね。
気を取り直そうとして冷蔵庫のポカリスウェット2リットルを飲もうとしたら、キャップが固くて開けられなかった……くっ。昔は、キリンの午後の紅茶が一番きつくて買うのやめたんだけど、最近はポカリもガードが固いのね。
これからは私もガード固めて、新規の人間関係構築には慎重になろうと思ったよ。改めて。ばーか! ロクデナシならまだいいけど、ヒトデナシとはつきあってらんねーよ。
++2005/04/23(土) 寝て忘れることにしよ。
なんか、なんか、、、なんだかなあーーーーー……。
昼間から二子玉川で酒飲んでて、そのまま9時間ぐらい飲んでて、このままあと3時間もこの場にいたら、私、自殺してしまうかもと思うようなひどい話をガンガンされて、あはは、あはは。とにかく笑ってお酒を飲んでいるしかなくて、本当に、自殺してしまうかと思った。あぶねえったらありゃしねえ。
いや、死ぬほどのことでもないというか、んなことでいちいち死んでたらやってられんていうか、とりあえず忙しいので死んでるひまがないってな程度のことだけど。でも、帰りの電車のなかで涙が出てきて、たまらんかった。やっぱ、モロにえぐられて、つきつけられると、痛いよね、傷って。いい加減にしてほしいよ。
はあ。寝て忘れることにしよ。傷ついてたって上機嫌でいたって、明日はまたフツーにやってくるわけだし。そんな日もあるさ、月にいっぺんぐらいは。(エ、それちょっと多い)
++2005/04/21(木) 虚弱だってやればできる子なんです
午前中ガサガサと仕事して、一端、息絶える。正午に蘇生、午後から鼻息荒げてケツに火をつけ「オンナ部・ドサまわり」を敢行。
1軒でもいいから自分の足で書店にごあいさつしたかった。で、むりを言って担当の方にがっついてくっつかせていただき、この世で最も意思のみなぎる金魚のフンとして、渋谷〜三軒茶屋〜下北沢界隈、ゴーッと15軒ほどおじゃまする。
書店といえば、ふだんは目のまえに出てきた自動ドアをふらっとくぐって店内を徘徊したり、「いつもの書店」に「いつもの感じ」で流れ込んでは立ち読みして時間をつぶしたりするだけだ。お店の様子なんてまったく気にしたことがなかった。けれど、きょういろいろな書店で声をかけるタイミングをはかりながら店員さんの様子を見ていてはじめて、書店ていうのはなんて忙しい場所なんだろうと思った。一日に入荷する本の種類だけでも相当数。チクイチ分類して、並べて、チェック、お会計して、お客さまを案内。受信したファックスに目を通していると、そこへ、金魚のフン。コレ、タイヘンヨ……。
しかも「読んだよ」と声をかけて下さる店長さんもいらっしゃって、なんと! これだけの数の本があるというのに、目を通せるというその視神経の強さはなんだああああ。びっくりして、ただただキツツキのように小刻みに頭を下げるしかなかった。
そんななか、記念すべき出来事がひとつ。
下北沢の某ナイス玩具&書店にて、生まれてはじめてサインを書いた。あんまりうれしかったので、あて名より先に「今日って何日でしたっけ!?」と鬼気迫るたずねかたをして、とにかくとにかく日付を書き込んだ。
あなたさまのお名前は、一生忘れません! たぶん。
++2005/04/20(水) 黒蜥蜴
昼から銀座で美輪明宏「黒蜥蜴」観劇。
筋書きもラストも要所のセリフも知っているのに、美しすぎて、ぽろぽろ涙がこぼれた。
カーテンコールの美輪明宏を見て、なにかわからないものがつま先から全身を伝って満ち上がってきて、それがあふれて、からだがふるえ、立てなくなった。
++2005/04/17(日) 20時間
いやあいやあ、ビックリたまげたあっちょんぶりけ。
なんてったって、寝て起きたら20時間たってるんだもの。ナポリくんに肉球でボカスカ顔をたたかれて、ふと枕もとの時計に目をやり驚きのあまり目がさめる。立ち上がったら、足の筋肉が畏縮してて、よろろ、よろろ、前後左右の壁に吸い寄せられてバカスカ体を打ちつけた。YO! 要介護YO! ラッパー風に言ってみても、回復する気配なし。疲れてたのかなあ…。
しかし、寝てるだけだとなんも日記って書けないんだなあ。
モー娘矢口脱退にファンが復帰求め署名活動。そうですか。
上方漫才コンクールでレギュラーが最優秀賞。そうですか。
ものまねタレント、ホリが乙葉似女性と結婚。そうですか。
どれもこれも、いかにも寝てる間におきてそうな芸能情報ばっかりだ。
++2005/04/15(金) はらいたではたらいてはらいたたのはらたいら。
腹イタで働いて腹イタタのはらたいら。
めっちゃ早口言葉を思いついた! と思ったけど、なんと、早口で読んでみても特に舌はもつれなかったのである。がっかりした。
強いていえば、ローマ字入力でのタイピングの際に、左手を多様気味なので指がもつれた。かといって、早打言葉と銘打つほどの、騒ぎでもないのである。ダブルがっかりした。
金曜の夜7時から仕事はじめて、フッと時計見たら土曜の朝8時。
死を意識した。
寝よう。
こゆことしてると、また脳神経外科搬送だから。
++2005/04/12(火) グッバイ、ソーメン。グッバイ、マミー。
私が高校生だったころ、母の仕事がいそがしくなり、しばらくのあいだ祖母が夕食を担当していたことがあった。最初のうちは、これまでに食べたことのない味の煮物やみそ汁で、「おばあちゃん、おいしいよ」とほほえましい食卓であったが、悲劇は夏休みにおきた。
夏休みであろうと父母は働いているわけで、私と弟は、これまでの夕食に加えて、昼食も祖母の出すものをいただくことになった。
「きょうは、そうめんだよ」
夏の風物詩だ。白くて細いめんが、氷と絡んでガラスの器に浮いている。私と弟は、競走するように箸を動かし、夢中でそうめんをすすった。食欲不振気味の暑さだけれど、そうめんだったら楽に食べられる、そう思った。
食後になると、祖母はデザートとして冷蔵庫から乳酸菌飲料「マミー」の紙パックを取り出し、私たち姉弟にすすめた。甘くておいしかった。
ところが、翌日の昼食になると、祖母はふたたびいった。
「きょうは、そうめんだよ」
前日と変わらない。同じガラスの器に、同じ白いめん。そして、食後にはマミーが出された。私たち姉弟は、ま、いいかと軽い気持ちで箸をつけ、ごちそうさま、するっと平らげるとそれぞれの食器をおとなしく流し台に返した。
翌日の昼、祖母はまたいった。
「きょうは、そうめんだよ」
さすがに3日目ともなると弟は不服な表情を見せはじめたが、私は黙ってそうめんをすすり、食後のマミーを飲んだ。この家にはそうめんがたくさん存在することを知っていたからだ。特にお中元として、この時期になるとあちらこちらから送られてくる。箱入りの立派なそうめんが、まだ台所横の物置にはいくつか積まれているだろう。それに、マミーは祖母の大好きな飲み物だ。
しかし、4日目、5日目、6日目……一週間たっても、二週間たっても、祖母は毎日いいつづけた。
「きょうは、そうめんだよ」
反抗期まっさかりの弟は露骨にため息をついてそうめんをにらむようになり、私はそんな弟のしかし黙ってそうめんに箸をつける不憫さと、目のまえに鎮座ます“また、いつもの”そうめん、そして祖母への責任感という三枚の板にはさまれて胃炎をおこし、そうめんを箸でつまんで持ち上げるだけで吐き気をこらえなくてはならなくなった。マミーは、ほぼ拷問に近い形で一気飲みしていた。
そうめん生活三週間目にはいり、ついに弟は食後のマミーを拒絶した。祖母は「なんや、これおいしいのに……」と残念そうな顔をしていたが、弟の意思は固かったのだ。しかし、私は弟の勇気に便乗することができず、マミーを飲みつづけた。マミーの紙パックに印刷された陽気な動物のイラストを見るだけで、胃がぎゅうっと縮こまるような痛みをおぼえた。そうめんは、とにかく濃いつゆと一緒にのどへと流し込んだ。
結局、そうめんは夏休みいっぱい、毎日確実に昼の食卓に登場した。弟の拒絶はますます大きくなり、最後の一週間は昼前になると「おれ、友達と飯食う約束してるから」とギターをかついで家から避難していくようになってしまった。
一方、ぽつねんと食卓に座りそうめんをすする私の前には、食後になるとほぼオートマチックにマミーの紙パックとコップが置かれつづけた。この夏休みだけではない、私が順調に高校生活を送り、卒業し、受験に失敗して浪人生活を送る間も夏になると必ず繰り返された。
元気のよい蝉の鳴き声、海岸沿いで日差しの強い町に住みながら、夏だというのに青白い顔で胃のあたりをさする私は、こう思った。
――ゼッタイ、ひとり暮ししてやるうううう!!!!
そうして見事翌年の受験をパスし、家を出てから9年。あれ以来、私はそうめんを食べていない。そして、コンビニに置かれているマミーのパッケージ、あそこで笑う動物たちが3DCGの未来感を漂わせるものに変更されても、手にとろうとは思わなかったし、これからもないだろうと断言できる。グッバイ、ソーメン。グッバイ、マミー。
―完―
(奄美大島では、そうめんをいりこや海藻類と一緒に油で炒めた「油ゾウメン」てのを食べたけど、ありゃうまかった! 別ものだ!)
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