グッバイソーメン、グッバイマミー


 ヨコモーレ・デ・セニョリータ!
 はあ。またやってきた。ツキイチのあれ。やだなあ……。しかしだ、いつだったか、知り合いからこんな話を聞いたことがある。
「女性には生理があって、毎月、感情のバイオリズムが変化するでしょ。それに応じて、味覚と嗜好も確実に変化してるんだよね。だから、自然のなりゆきとして家庭では女性が料理を担当するのが望ましいわけ。何十年も食べつづける家庭料理が飽きない理由って、そこなんだよね」
 ナルゲッソ・ナルゲッソ・モットーモ・デ・ゴザイマショ!
 じゃあ、これはどうなんだ。
 
 私が高校生だったころ、母の仕事がいそがしくなり、しばらくのあいだ祖母が夕食を担当していたことがあった。最初のうちは、これまでに食べたことのない味の煮物やみそ汁で、「おばあちゃん、おいしいよ」とほほえましい食卓であったが、悲劇は夏休みにおきた。
 夏休みであろうと父母は働いているわけで、私と弟は、これまでの夕食に加えて、昼食も祖母の出すものをいただくことになった。
「きょうは、そうめんだよ」
 夏の風物詩だ。白くて細いめんが、氷と絡んでガラスの器に浮いている。私と弟は、競走するように箸を動かし、夢中でそうめんをすすった。食欲不振気味の暑さだけれど、そうめんだったら楽に食べられる、そう思った。
 食後になると、祖母はデザートとして冷蔵庫から乳酸菌飲料「マミー」の紙パックを取り出し、私たち姉弟にすすめた。甘くておいしかった。
 ところが、翌日の昼食になると、祖母はふたたびいった。
「きょうは、そうめんだよ」
 前日と変わらない。同じガラスの器に、同じ白いめん。そして、食後にはマミーが出された。私たち姉弟は、ま、いいかと軽い気持ちで箸をつけ、ごちそうさま、するっと平らげるとそれぞれの食器をおとなしく流し台に返した。
 翌日の昼、祖母はまたいった。
「きょうは、そうめんだよ」
 さすがに3日目ともなると弟は不服な表情を見せはじめたが、私は黙ってそうめんをすすり、食後のマミーを飲んだ。この家にはそうめんがたくさん存在することを知っていたからだ。特にお中元として、この時期になるとあちらこちらから送られてくる。箱入りの立派なそうめんが、まだ台所横の物置にはいくつか積まれているだろう。それに、マミーは祖母の大好きな飲み物だ。
 しかし、4日目、5日目、6日目……一週間たっても、二週間たっても、祖母は毎日いいつづけた。
「きょうは、そうめんだよ」
 反抗期まっさかりの弟は露骨にため息をついてそうめんをにらむようになり、私はそんな弟のしかし黙ってそうめんに箸をつける不憫さと、目のまえに鎮座ます“また、いつもの”そうめん、そして祖母への責任感という三枚の板にはさまれて胃炎をおこし、そうめんを箸でつまんで持ち上げるだけで吐き気をこらえなくてはならなくなった。マミーは、ほぼ拷問に近い形で一気飲みしていた。
 そうめん生活三週間目にはいり、ついに弟は食後のマミーを拒絶した。祖母は「なんや、これおいしいのに……」と残念そうな顔をしていたが、弟の意思は固かったのだ。しかし、私は弟の勇気に便乗することができず、マミーを飲みつづけた。マミーの紙パックに印刷された陽気な動物のイラストを見るだけで、胃がぎゅうっと縮こまるような痛みをおぼえた。そうめんは、とにかく濃いつゆと一緒にのどへと流し込んだ。
 結局、そうめんは夏休みいっぱい、毎日確実に昼の食卓に登場した。弟の拒絶はますます大きくなり、最後の一週間は昼前になると「おれ、友達と飯食う約束してるから」とギターをかついで家から避難していくようになってしまった。
 一方、ぽつねんと食卓に座りそうめんをすする私の前には、食後になるとほぼオートマチックにマミーの紙パックとコップが置かれつづけた。この夏休みだけではない、私が順調に高校生活を送り、卒業し、受験に失敗して浪人生活を送る間も夏になると必ず繰り返された。
 元気のよい蝉の鳴き声、海岸沿いで日差しの強い町に住みながら、夏だというのに青白い顔で胃のあたりをさする私は、こう思った。
 ――ゼッタイ、ひとり暮ししてやるうううう!!!!
 そうして見事翌年の受験をパスし、家を出てから9年。あれ以来、私はそうめんを食べていない。そして、コンビニに置かれているマミーのパッケージ、あそこで笑う動物たちが3DCGの未来感を漂わせるものに変更されても、手にとろうとは思わなかったし、これからもないだろうと断言できる。グッバイ、ソーメン。グッバイ、マミー。

 ―完―