あの日あの時みたカッパ


 思いっきりいうけど、私は、カッパを見たことがある。
 カッパっていやあ、緑色のしめったボディにくちばし、そして頭上に皿で片手に黄桜なんつうイメージがあるみたいだけど、ちっ・ちっ・ちっ。私の見たカッパはちがう。
 あれは3年前。東京は新宿、ご近所にはイラン、ミャンマー、韓国、中国、そしてマトリョーシカみたいな感じの人々があふれかえるエキサイチングストリート・大久保に住んでいたときのことだった。
 夏のその日、私は蒸し暑さのあまり早朝に目を覚まし、パンをかじって麦茶を飲むと、一息ついたところで洗濯機をまわした。脱水が終わって洗濯物をカゴにつめ、排気ガスけむる狭いベランダにこれを干すべしと、足をのばす。部屋は同じくベランダ並みの狭さだ。家具や荷物がごちゃごちゃと置かれていて、ベランダに出るにはベッドにのぼって窓をあけ、サッシに頭をぶつけないよう慎重に、そして雑技団のように体をくねらせなければならなかった。
「よっこいせっと」
 いつものように窓から足を出し、つま先でちゅんちゅんと健康サンダルをまさぐる。左右履きそろえると、天井に手をついて窓枠をくぐりベランダに着地、ベッドのうえの洗濯カゴを両手に持って、えいやとふりかえった。
 と…………。
   
 !!!!!!??????
    

   
 あ、あんた、だれっ???
 エアコンの室外機と手すりの間にはさまるようにして、身の丈は130センチメートル、やせ細って頭は巨大、背中に甲羅を背負った、なんともあやしい2頭身のオッサンが立っているではないか。しかも、丸ハゲである。丸ハゲで、微細な金髪の体毛が、体の全体あちこちにキラキラッと生えているのである。
 キ、キチガイ、現る???
 私は洗濯カゴを取り落としそうになりながら、ごぐっと息を飲んだ。人間、恐ろしいと感じると、悲鳴をあげることも震えることもできないものだ、頭のなかでは「とにかく部屋にもどって110番しなくっちゃ!」という考えが赤色灯のごとくぐるんぐるんとまわっているのだが、まわっているだけで身動きをとることすらできない。
 そのまま、沈黙の数秒間が流れた。
 すると、私の気配を察したのか、そのオッサンがなんの音も超音波も発することなく、文字でいうと「のあああん」という感じで、こちらをふりかえった。
    
 !!!!!!!!!!!!
     

    
 うわあああああっ! ちょ! う! い? あ! ぱーどぅーん???
 研ナオコ似の離れた目もとにブタっ鼻、くちびるは薄く、ベージュの肌はどこもかしこもシワシワで、頭部のところどころから長い金髪がたれさがっている。そしてそしてどういうわけだかどういうわけだか、ど・お・い・う・わ・け・だ・か、BEAMSのロゴ入り白Tシャツのみを着用しているのである!
 だだだだだれよあんただれよあんただれよあんただれよあんた……。
 私は頭が混乱して、念仏のように「エンドレスだれよあんた」を胸のなかで唱えつづけた。するとオッサンは、おそらく私にだけ聞こえるテレパシーのようなものを飛ばして答えた。
    
(かっぱ)
   
 カカカ、カッパ!? まま、またなななななにしてんの、カ、カッパが。うう、うちの、こここ小狭いべべっ、ベランダで。
     
(あいさつ)
     
 そそそそそうですか、どどどうも、はづめまして、いずみと申します。み、み、三重県からやってまいりました。
    
 すると、自称・カッパ、ひょろんと左手を持ち上げると、手のひらをパッと開いてこちらに見せた。あれ? とんでもない見た目に反して、わりと気さくな人のようである。って、のーーーーーーーーーーっ! よく見ると、指の股にはシリコン様の薄い膜が張られているではないかい! カッパ! やはりこいつはカッパなのである! これは水かき、そしてカッパには水かきが常設されているのである!
 自分のイメージとは大幅にちがう姿かたちをしているが、現実にこの目のまえに立っているオッサンの人間とはおもえない風体、背中の甲羅、そしてこの水かき、さらに本人いわく「かっぱ」っつーんだから、やはりこいつこそ、例の、あの、有名な、カッパにちがいない、そう、マジカッパに決定なのである。
 ぐわあああん!
 あまりに突然の出会いに、私はもはや目ン玉ひんむいて非常事態宣言、まもなく泡ふく5秒前、といった境界線で立ちくらみである。が! このチャンスを逃してはならんと必死に観察してみると、なにやらカッパからは青臭くも甘い香りが漂っていることに気づく。果物? いや、野菜……これは夏の風物詩、スイカの香りである。しかし、本人の体は、見たところにおいを発するほど汗っかきには見えず、むしろみずみずしさを失った老人のような肌をしている。ベランダの床には足跡ひとつついていないし、シワだらけの体のどこを探しても、やはり湿り気はないようだった。カッパ乾燥肌説。新しい発見である。
 そうこうしているうちに、カッパはおもむろに手をおろし、私を見たままわずかに口角をあげて笑みをもらした。そして長いまつ毛のみっしり生えた大きな瞳をパチパチッとまばたきさせると
      
(じゃ)
    
 そして、ふたたび、音も超音波も発することなく、ポムッ! カッパは私のまえから姿を消してしまったのであった。
 う、うわあ……写真、お願いすればよかった……。
 しかし、もはや時すでに遅し。私は洗濯カゴを放り投げると携帯電話を手にとり、夢中で友達に出ろ出ろ出やがれっとコールした。受けた友達は大人としてごく正常かつ理性的な反応をみせ、やさしく、そして遠目な感じで「つかれてるのね」と、言った。
 ちがうんだってえええええ、ほんとに見たんだってえええええ!!!!
 信じてもらえなくたって、かまやしない。私だけの、夏の思い出だ。

 ―完―