ドトールコーヒー下北沢駅前店の午後


 娯楽の一日、昼から芝居を観に、下北沢へ。
 終演後、昼食をとり損ねたままだったためか、胸焼けしてきてこのままでは井の頭線のなかでゲロ吐くゼッタイ吐く恐らくは自分のトートバッグのなかに吐くと思ったので、駅前のドトールで水分などとりながら胃を落ちつけることにした。
 適当な飲み物を買って着席すると、ほどなく隣に貧乏そうなアロハシャツを着たニセ氣志團みたいなお兄ちゃん達がやってきた。ニセ氣志團は、あの席の男がこっちを見ただの、先輩から集合の電話があっただの、ギャーギャーとドトールおよび私たち一般市民に対する迷惑行為を行い、周辺の空気をみるみる暗黒に染めてゆく。人々が少しづつ席を移動しはじめたころ、そのなかのひとり、これまたニセ綾小路翔みたいなのが、移動し遅れた私のほうへにじり寄って来てしまった。
「すんませーん、タバコ一本もらえねえっすかあ? あと、火」
 な、な、な、なめくさっとんかワレ赤の他人から気安ぅもらいタバコしとんちゃうぞいっぺん返り討ちにおぅたらええねんこの貧乏アロハのアホボケカスぅ〜! とは思ったんだけど、にらまれて拉致られてまわされて踊りながらハメ撮りギグにでも出されたら、もう私、大変なので、「はぁい♪」めっちゃ笑顔でカチッと火をつけてあげた。
「あざーっす! マルメンっすね、いいタバコっす、姉さん!」
 思いがけず、綾小路は笑顔で丁重に頭を下げた。
 それから、なんだか私はそのニセ氣志團が非常に気になって、手元の文庫本に目を落としながらこっそり様子をうかがうことにした。
 しばらくすると、こちらから見て、きゃつらの逆どなりの席に、ひどくくたびれたシャツにズボン、片足をずるずる引きずった大柄な男がやってきて、がん! およそ5000万円サイズはあろうかという大きなジュラルミンケースをテーブルの上に置いた。
 思わず見上げると、浅黒い顔には幾重もの深いしわが刻まれ、眼光鋭く、あごからのどぼとけにかけて15センチ大の派手な裂傷痕のある、ここここれはゼッタイ人殺してるわー! ってな形相の中年男性だった。
 ウワー、これはきた、やべえええええ!
 読んでもいない本のページをぱらぱらとめくりながら、私はいまさら席を移動させるのもわざとらしいと思うと動くことができず、ただただニセ氣志團ときっと人殺しの対決に神経を集中させることになった。(期待どおり、)さきほどのニセ綾小路翔が「すんませーん、タバコ一本もらえねえっすか?」と人殺しに声をかけるまで、2分とかからなかった。
        
「このライター超かっこいいっすねえ。お借りしていいっすか?」
 人殺しは、つっけんどんにライターを差しだしながら、手元でベルを鳴らす携帯電話を手にとった。ちらっと視線をやると、黒ずんだ二の腕に、これまた刃物で切りつけられたような光沢質の白い傷跡が、バッサリと刻まれているのが見えた。電話に向かって怒号を飛ばしている。
「おう? 適当にやっとくよ・・・・・・ああ? なかったら俺のやつでいい。とにかく、あるだけ全部、だまって持ってこいや!」
 ひいいいい。もう、絶対、人殺しの予約電話だよおおお。銃刀および弾薬、あるだけ全部だなんて、どんな大物をやる気なんだろう。ていうか、氣志團、絶対早期に撤退したほうがいいって、あんたたちいいい!
 ところが、私の心配をよそに、綾小路翔は馴れ馴れしくも、電話をおえた人殺しにずけずけと近寄って話かけはじめた。
「タバコ、赤のマルボロなんっすね! かっこいいっすねえ!」
「あん? 兄ちゃんら、いくつだ」
「え・・・・・・あ、あの、警察の人なんですか」
「いや、ちげえよ。タバコがかっこいいなんて言うからよ。ガキなんだろ」
「ハタチっす」
「うそつけ、見たところ、16、7だな。まあいいわ、すえよ」
「あざーっす!」
 はあああっ、無事にタバコもらえたよおおお、よかったねえええ! もうそのくらいにしときな。ね、ね?
「あのっ、俺、実は16なんっす」
 まだ話しかけるのかよおおおおお!
「そうか。やっぱりな」
「あのっ、でも、今の若者のあいだでは、赤のマルボロとセブンスターがかっこいいんすよ。それは本当なんす。だから、かっこいいっすねって言ったんす」
 なに言い出すんだよお、綾小路!
 とは思ったんだけど、私は彼の『今の若者のあいだでは』という一文に、妙な親近感を覚えた。ああ、この底知れぬ田舎くささ、純朴さ。がんばって『イマのワカモノ』をやっている、コンプレックスの塊具合・・・・・・これ、私、シンクロしちゃうのよねえ。
 すると、人殺しもやはり何かを感じたらしく、体をくるりと綾小路のほうにむけ、黄色い歯を見せながら饒舌に話しはじめたのだった。
「おう、俺も田舎から出てきた人間だからよ、若い時分は兄ちゃんみたいにツッパッてたなあ。まあ、いまも変わらんまま、年だけ食っちまったけどな」
「え、こんな金髪とか、してたんすか」
「いやあ、金髪はねえけどよ。生意気にタバコふかして悪さしてたってことさあ・・・・・・ま、今でも悪さはしてるけどよ。兄ちゃんたちは、あれだな、まだまだかわいいもんだな。ワッハッハ」
 すると、綾小路がタバコをぎゅっとテーブルにもみ消し、生意気そうな目つきでキッと人殺しをにらんだ。
「いやあ、俺ら、けっこうワルっすよ。『鬼露露』って知ってます? キロロ。暴走族の名前っすよ、それに入ってるんす。喧嘩も多いし、ヤクザともやりあったこともありますよ、なあ?」
 いまにも飛び掛らんと殺気立つ氣志團は、思い思いの決めポーズで人殺しをにらみつけた。空気が凍った。ととと飛び交いますか、勃発ですか、ままままじですか。
 と、人殺しは、くしゃっと顔をつぶすと、大仰に笑って、ぐっと眉間にシワを寄せた。眼力が満ちていた。
「元気のいい兄ちゃんだ。ヤクザとやりあったって? おめえらがにらまれた側だろ。そんな風貌だからよ、そら目もつけられるわな。どうせヤクザとは張り合えなかっただろ、どうだ。怖い目も見てきてんだろ」
「・・・・・・」
「いいか。おめえら自身がそういう格好してっから、ヤクザを怖いと感じるんだよ。目ぇつけられて当たり前の格好してるって自覚が、おめえらの中にあんだろ? それが怯えなんだよ」
 すべてが、図星。
 説得力に満ち、ドスのきいたしゃがれ声に、氣志團一行のとがった空気が急に静まり返った。しばしの沈黙のあと、綾小路は姿勢を正し、ひざをあわせて、ちいさく言った。
「ハイ・・・・・・ヤクザ、怖いっす」
「だろう? でもな、聞けよ? ヤクザはな、ヤクザ同士で喧嘩するもんだ。ふつうの奴には一切手は出さねえもんなんだよ。その世界には、その世界のやり方ってもんがある。おめえらみたいなのに喧嘩ふっかけて偉そうにしてるやつは、単に弱い者いじめしかできねえクソだ。どの道、上から締め付けられて負け犬になる奴だ。そんなもん、なんにも怖くねえよ」
 土曜の昼下がり、ドトールコーヒー下北沢駅前店にて突如はじまったのは、ヤクザ講座。
 講師は貫禄のある人殺し、ぶっきらぼうにも正しく諭す太い言葉に思わず聞き入ってしまったのは、私だけではないだろう。
「でもやっぱ、日本のヤクザさんじゃなくても、B系っていうか、黒人の怖い感じの方とか、いらっしゃるじゃないですか。なんつーか、言葉通じないから、やっぱ怖いっすよ」
「ハハハハ! やられたんか。アメリカ人? 怖くねえよ。どうせ、おめえら、アメリカ人はみんなピストル持ってるとか思ってんだろ。そういうの、先入観っていうんだよ。むこうの人間に聞いてみろ。日本人のほうが、むしろ能面みたいで何考えてるかわかんなくて怖いって言われてるよ」
 おおお・・・・・・こんなところで世界がひとつひらけてしまったのだよ。
 能面! そうだ、そうなんだよね。感情表現が薄いことも、感性のちがう人種から見れば、恐ろしいものに映るんだよ。勉強になるなあ。
「そうなんっすか・・・・・・。ああ、なんか、すげえ勉強になるっす」
 綾小路も、ともに勉強していたのであった。
「アメリカ人は基本的にクリスチャンだしな。そこまでひでえことはしねえよ。それよりな、怖いのが、中国系だよ。もうムチャクチャな教育してっからよ、あっちのマフィアは見境なく簡単に人を殺すし、やることもひでえ。俺もいろいろ見てきたけどな・・・・・・」
 それ以上語らないことが、返って想像力をかきたてた。
 やがて人殺しは携帯の着信音を合図に立ち上がり、5000万円入りのジュラルミンケースをごつんと持ち上げると、氣志團全員を俯瞰して、言った。
「おめえらな、どうやら半分イッちゃってる奴もいるようだが、まあ、まだ、目が素直だ。あまい。妙な所うろついてっと、カモにされてろくな目にあわねえぞ。気いつけるんだな」
 もはや、ドラマだった。その断言が、居住まいが、もう人殺し抜きでかっこよかった。もうちょっとだけ形相がやさしくて、糊のかかったきれいなシャツを着ていたら、ふつうに惚れてたかもしれない。
 立ち去ろうとする人殺しにすがって、綾小路が言った。
「あ、あの、もしかして、お仕事は・・・・・・」
「俺か? 俺は詐欺師だよ。はん、自慢にもならねえ」
 きゃああああああっ、かああああっこいいいいいいいい!!!
 綾小路with氣志團そして私は、潤んだ瞳にハートマークをぷかぷか浮かせながら、詐欺師が足を引きずりながら自動ドアをくぐる、その背中をじっと見送ったのであった。
             
 で、氣志團も「じゃ、集会いきますか」なんつってあっさりいなくなったので、私もドトールを出てちょっと下北を散策していたら、前方にさきほどの詐欺師の姿を発見した。
 何気なく近寄っていくと、詐欺師は5000万をぶらさげたまま、着ているシャツ以上にくたびれたババアに道ばたで思いっきりどつかれていた。
「あるだけ全部持ってこいって、どこにあるんだか、わかんないから電話してんじゃないのよッ! とりあえず、これでいいんだねッ?」
 ババアが詐欺師に叩きつけていたのは、赤いマルボロ、1カートンだった。