ヒットラーハガキはもういらない その8

 なんで!?
 どうして!?
 私、引っ越したんだよ!?
 ここは首都東京だよ!?
 もう、あのマンションじゃないんだよ!?
 背筋に悪寒がはしり、私は、びくびくとまわりを見渡した。エレベーターホール、非常階段、集合ごみ置き場、管理人室。あらゆる場所から、あの男性がニヤニヤと足をひきずりながら出てくるような気がしてならなかった。
 こわい。なんだ、これは。私の身に、危険が迫っている?……が、すぐにこのハガキがここに投函されている理由は、理解できた。
 宛名面に、以前のマンションの住所が書き込まれ、切手が貼られているのだ。
 引越しに際して、私は郵便物の転送を申し込んでいた。よって、このハガキもご丁寧に赤い車に乗せられ、わざわざここまで転送されてきたというわけだ。消印のほかに『転送郵便 ○○市××郵便局 〜転送期限○○年△△月迄〜』という赤いスタンプも押されている。
 おおかた、いつものように手作業でマンションのポストへハガキを投げ込んでいるうち、引きとる者がいなくなってポストがぱんぱんになってしまったのだろう。私が引越してしまったことに気づいた男は、転送郵便を見越して切手を貼りハガキを送ってみたというところか。いや、そこまで考えがまわるとも思えない。「ためしに」切手を貼って出してみた、というレベルかもしれない。
 ――ううむ……にしても、なかなかしつこいじゃあないの。
 しかし、相手は切手を貼るという新しい見当こそつけたものの、それ以上の手段もなければ、こちらの新しい住所を知る方法も持ちはしないわけである。
 私は、完全に新しい生活を得るために、意図して以前のバイト先の人間一切と縁を切っていた。最後にバイトした飲食店はもちろん、あの足の不自由な男と出会ったファーストフード店もだ。考えてみれば、あの男が私の個人情報を知ることができるのは、あの男と私との共通の場所、つまり私と同じ店で働いていたアルバイトの人間からという線が濃厚なのである。疑心暗鬼であってほしいものではあるが、なんらかの交換条件を持ち出した男に頼まれ、誰かが私の住所を引き渡したという可能性は高い。
 そして、そのような可能性のある元アルバイト先の関係者で、いま私が東京で新生活を送っていることを知る人は、いない。ということは、私は、安全である。
 余裕だ。こんなハガキ、捨ててやれ。ポイッ。

『敬愛なる もくれん様 わたくしのお手紙は届いていますか。お返事をください』

『敬愛なる もくれん様 お部屋をたずねましたが、知らない人が住んでいます。もくれん様はどちらにお住まいですか。CDもそろそろお返しください』

『敬愛なる もくれん様 CDをお返しください。わたくしの大切なCDです。どうか取り上げないでください』

『敬愛なる もくれん様 どちらにお住まいなのですか。あいかわらずもくれん様のお部屋には知らない人が住んでいます。CDをお返しください。どうぞよろしくお願い申し上げます』

『敬愛なる もくれん様 さきほどのお手紙に書き忘れました。このお手紙をお読みになりましたら、至急お返事くださいませ』

『敬愛なる もくれん様 どうしてお返事をくださらない。わたくしは。ただ。わたくしのCDを返してほしいとだけ言っているのだ。どうしてお返事をくださらないか。どうかよろしくお願い申し上げます』

 いーーーやあああああああああああああああっ!
 だれか、このハガキを、とめてええええええっ!

(つづく)