ヒットラーハガキはもういらない その9

 ヒットラーハガキは続々と東京の新居に配達されつづけた。一日に何通も投函しているのか、それとも郵便転送が何通かまとめてから配達するシステムになっているのか、決まって次のような3通がワンセットとなっている。

『敬愛なる もくれん様 せめて一枚だけでもいいのでCDを返して下さい』

『敬愛なる もくれん様 先ほどのお手紙に書き忘れたが、こちらの住所は○○市△△××。なぜ連絡しない。至急連絡すること』

『敬愛なる もくれん様 取り乱しました。先にお送りしたお手紙に書き忘れましたが、私の名前はN.Kといいます。郵便番号は、○○○の○○です。どうぞお書き添えくださいますよう、よろしくお願いします』

 ――ま、マラ! マライヤと、アメリカンポップス、とにかくなんとかしなきゃ。いっそのこと捨てちゃおうか……いや、まずいよそれは。捨てて解決するもんじゃないよ……ああ、やっぱり、私が読んでるのを見越して送ってきてるのかな……どう考えてもわざと3通にわけて送りつけてるよな、2通目なんか、口調が怖いし……ああ、どうしよう、調べに調べて東京までやってきたら、どうしよう。やってきそうじゃん、なんとなく! どどど、どうしよう!!
 しつこい。執念深い。蛇のような男。このままでは、本当に、精神的にも物理的にも追いつめられてしまう。
 …………………………………………………………。
 
 ……いや? 
 冷静によく考えてみれば、投函回数、内容、ともに狂ってはいるものの、最近のハガキが「CDを返せ」ということに固着しているだけで、そもそもこの男の一連の行動は私に対する「嫌がらせ」という目的があるのではなく、あくまでも本人にとっては「あたりまえ」であり「まっとう」であることと認識されているのではないだろうか。
 だってそうだ。CDを返せといってくるまでは、ヒットラーだのマッカーサーだの、こちらが理解してやるまでもない、あくまでも『普通の』頭のおかしなおじさんからのハガキばかりであった。そして、それを読んで、私は最初からこの男を「普通の常識が通用しないチキチキ野郎である」と結論づけていたではないか。
 ということは、だ。
 ある意味、諸悪の根源はこの男ではなく、「嫌がらせによって、嫌がらせられている」という考え方をしてしまっている、こちらのしごく常識的な部分にあるということになる。一般ラインでこの男を理解しようとするから、理解できない文面が送られてきて、かえって気に病み、見つからない対処法を探しては勝手に追いつめられている。読まなくてもいいものをわざわざ読んで、そして心配してしまうというこの状態もまた、こちら側に問題がある。
 なあるほど。解決策が見えた。
 ――よし、とりあえずCD返せっていってんだから、返してやりゃいい。
 ヒットラーおじさん、あなたは正しいよ。あなたはあくまでも、まっとうだよ。あなたの考え方は、あなたのなかのすべてに当てはまる常識だよ。
 この際、思い切って男性の考え方を全面肯定することにしよう。相手に悪意がないということが当たり前になれば、こちらもハガキを読んだところでいちいち悪意をくみ取ろうとせずに済む。仕返しすることを考えてむだにキリキリすることもなくなるだろう。そしてその上で、双方がおのおの「貸し」「借り」だと思いこんでこだわっている部分さえ解決してやればいい。
 貸し借りの接点さえなくなれば、あとはハガキの内容がどう壊れていこうが、こちらには関係ない。すくなくともこちらは相手から手の届かない場所にいる身として、転送期限が切れるまでの向こう一年間、これらのハガキを余裕で鑑賞することができ、また、こころおきなく「無関係」としてくずかごへ捨てる選択肢も持てるようになるだろう。パチパチパチパチ。
 ――で、あるならば、さっそく!
 私は、マライヤキャリーのCD、アメリカンポップスvol.1〜5をまとめると、大判封筒に入れてガムテープで封をした。宛名に男性の住所と名前を書き、ポストに投函できる「差出人不明、料金受取人払い」の定形外郵便として準備する。
 そして、そのまま切手を貼らずにポストに投函……しようとしたが、万が一投函したポストが東京であるとバレるようなスタンプを押されてはならん、と思い、学生時代の友人をあたって封筒をいったん都内以外の人間に中継してもらうことにした。
 友人の協力の結果、封筒はめでたく、私とは縁もゆかりもない四国のとある田舎町のポストから投函された。
 その後、CDを返せという内容はなくなり、かわりに、再びヒットラーのすばらしさを謳ったもの、ワーグナーの音楽性についての考察、ヒットラーとムッソリーニの比較、などについてのハガキが数回届いたが、こちらがさして気に病まなくなったのもあり、いつのまにか転送期限は切れて、二度とあのミミズ字を目にすることもなくなったのであった。

(おわり)